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名古屋地方裁判所 昭和38年(ワ)827号 判決 1964年5月11日

原告 松下高造

原告 松下たづ子

右両名訴訟代理人弁護士 太田耕治

被告 加藤銀三

右訴訟代理人弁護士 長尾信

主文

被告は原告松下高造に対し金三二〇、三九五円、原告松下たづ子に対し金三一五、四七五円及びそれぞれこれに対する昭和三八年五月一三日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告等のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを五分し、その二を被告、その余を原告等の各負担とする。

この判決は原告等においてそれぞれ金一〇〇、〇〇〇円の担保を供するときはそれぞれその勝訴部分に限り仮に執行することができる。

事実

≪省略≫

理由

一、原告等が夫婦であり、誠がその次男で昭和三三年五月一四日生れであること、原告等が名古屋市北区中富町一丁目三六番地の被告所有の四戸続長屋たる本件長屋のうちの一戸に居住しており、その長屋の他の各戸に訴外金子、伊藤及び棚橋が居住すること、本件長屋の南側に訴外小森、江川及び西が居住する被告所有の長屋のあること、被告が本件長屋の北側の同所五二番地にある被告居住家屋に居住すること、本件長屋と被告居住家屋との間に本件空地があること、被告が本件万力台を所有していることは当事者間に争いがない。

二、本件空地の所有、使用関係について≪証拠省略≫によれば次の事実が認められる(≪証拠判断省略≫)。

本件空地は被告所有の名古屋市北区中富町一丁目五二番宅地二畝二四歩七一の一部と被告の長男である訴外加藤直継所有の同所三六番宅地二畝三六歩二〇の一部とより成る約四五坪の空地でありその北には被告居住家屋、南には本件長屋が存する外、東には被告の精米所、西には本件納屋があつて大体においてこれらの建物によつて四方を囲まれているが、南東は、賃借人等の共同洗濯場、共同便所を経、更に被告所有の長屋の東側を経てその南にある公道へ抜ける通路に通じており、北西は被告居住家屋と本件納屋の間を経、更に右家屋の西側をその北にある公道へ抜ける通路に通じており、南西には賃借人等が物干場として使用している空地があり現在は本件空地との間に木柵があつて本件空地の南西部より右物干場へ直接行くことは出来ないが、後出の本件事故当時は右木柵はなく本件空地の南西部より右物干場へは自由に往来出来たものである。被告は本件空地の東側にある建物において四、五年前迄は精米精麦業を行い、その後は時々委託に応じて魚骨や柿皮の精粉加工をしており、その米麦又は魚骨、柿皮の乾燥場として本件空地の東半分を使用し、また西半分には木材切台、床台等が存し被告が素人大工をする作業場として使用することがあつたが、最近ではいずれも時たま使用するにすぎないものであつた。他方、被告所有の本件長屋やその南側にある長屋の賃借人等は洗濯物を干す際に本件長屋の西にして且つ本件納屋の南にある洗濯物干場を利用する外、被告方に断わりを述べて本件空地を利用することもあり、また被告居住家屋の北にある公道へ抜ける通路として本件空地の北西隅の路地を通行するために本件空地を横切ることもあり特に南側の外、北側にも出入口のある原告方では洗濯物を干す時や本件長屋の東にある共同便所へ行く時にも本件空地を通行することがしばしばあつたものであるが、被告としても賃借人がこれら本件空地を利用したり通行したりすることをさしてとがめ立てすることもなく黙認していた。そして賃借人等の子供達が本件空地で遊ぶことも時々あり、子供達は自転車を乗り廻したり、バレーボールやテニスのまねごとやボール投げをしたり、大勢で走り廻つたりして遊んでいた。被告や被告の妻加藤とみはこれをみると子供達を叱つたり、注意を与えたりしていたが、それにも拘らず子供達は右のような遊びを繰り返している状態であり、特に子供等が本件空地でままごと遊びなどおとなしく遊んでいることに対しては咎め立てることなく、これを黙認していたものである。

本件万力台の構造は、証人小森松枝の証言、被告本人の供述の一部、検証の結果によれば次のようなものであることが認められる(この認定に反する被告本人の供述は信用しない。)

被告所有の本件万力台は縦三尺余横一尺六寸高さ二尺四寸の木を組み合せた四本足の台であり、その上に縦の最長二尺余、高さの最長一尺余の鉄製の万力(重量約一五貫)が万力台の横辺に平行に台の中央付近に載せてあり、ボールト及びナツトで台に固定してあるが、万力に比し台が軽いこと、万力のハンドルのある側は万力が台より多少はみ出しているうえ万力の構造上ハンドルの近くに万力の頭部があるため、万力台全体の重心が高い位置にあり且つ万力のハンドルのある側に偏つているために、万力のハンドルのある側から引張り又はその反対側から押せば本件万力台は容易に倒れるものであり、仮に幼児であつても万力のハンドルにぶら下り又はハンドルを引張り或は反対側から押すなどすれば倒れ得るものである。そして本件万力台が倒れた場合に、これに触れた者は一五貫を超えるその重量の故に身体に相当の打撃を被ることは明らかである。

以上の事実によれば本件万力台は転倒の危険性を有するものであるというべきである。

三、前記の様に被告は被告等の叱責にも拘らず賃借人等の子供達が本件空地に時々遊びに来ることを知つており、特に子供達が本件空地でままごと遊びをすることもあつたことを黙認していたものであるから被告としては本件空地において前記の如き危険性を有する本件万力台を放置しておくときは、子供達がこれに触れたりいたずらをしたりして万力台が倒れることによつて危害を受けるかもしれないのであるから、かかる状況においてかかる危険物の所有占有者たる被告としてはその様な事故の起らない様に単に口頭で子供達に注意を与えるだけでは足らず、本件万力台を本件納屋に格納するとか、万力のハンドルのある側を本件納屋の壁又は戸のある方へ向けこれに接着させて安置するとか、倒れることのない様に支柱にでも縛り付けておくとか適宜の措置を構じて危険の発生を未然に防止すべき作為義務を負うものというべきである。

しかるに、被告本人の供述、検証の結果によれば被告は本件万力台を入手後一〇年余の間は本件納屋に格納していたが、四年程前から本件納屋でうどん製造を始めると同時に本件納屋の外へ出し、その後右製造をやめた後も使用の便宜上本件納屋の東側出入口の前の庇の下に東西に長く従つて万力のハンドルのある側を南にして置いていたものであるところ、本件万力台の北には鶏小屋があるが万力台との間には約一尺五寸余の距離の空間があり、南には製粉機がありこれにブリキ板がもたせかけてあるが、万力台との間には約三尺の距離の空間があり、西には本件納屋の戸があり万力台との間にはやはり約一尺の距離の空間があり、本件空地で遊ぶ者が自由に近付ける状態にあつたことが認められる。

右事実によれば被告は前記の危険の発生を防止すべき作為義務に違反していたものというべきである。

四、≪証拠省略≫によれば、昭和三八年三月二七日午後二時頃原告等の次男の誠(当時四年一〇月)は近隣の子供達数名と共に本件空地の本件納屋附近で遊んでいたところ、倒れてきた本件万力台のために腹部に打撃を受け(以下これを本件事故という)十二指腸破裂、汎発性腹膜炎を起し、翌三月二八日午後二時二〇分死亡するに至つたことが認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

そして、検証の結果によれば、本件事故当日本件万力台の存在した場所及びその附近の地表には極端な凹凸はなかつたことが推認され、これと前記の本件万力台の構造等を合せ考えると本件万力台が自然に倒れることは考えられないところ、証人加藤とみの証言、原告たづ子本人の供述によれば、誠が本件事故に遭つた直後倒れた本件万力台の北側と南側に子供が一人ずつ立つていたこと、原告たづ子に事の次第を問われた子供達は「あれをなぶつておつたので知らんもん」と答えたことが認められこれと本件万力台の構造より考えると誠等がままごと遊びをしている中に万力台に近付き、誠が万力のハンドルのある側から万力台を引つ張つたか、ハンドルにぶら下つたか、或は他の子供がその反対側から万力台を押したかしたために万力台が南方に横転するに至つたものであることが推認される。誠が本件事故に遭い負傷し死亡したについては同人ないし他の子供の行為もその一因をなしているというべきであるが、それにも拘らず前記の様に本件万力台は特定方向より多少の力が加わることによつて容易に倒れるものであるから、子供達が時々遊びに来ているという状況の下においては本件万力台に多少の力が加えられることを伴うことによつてではあるが、被告に前記の危険発生防止義務違反があれば通常は本件事故の如き本件万力台の転倒事故が起るであろうというべく、本件万力台の重量等より考えるとその結果子供達の身体に負傷を負わせ更に死に至らしめることもあろうというべきであるので、誠が本件事故に遭い負傷し死亡したことと被告の前記危険発生防止義務違反との間には相当因果関係があるというべきである。従つて誠が本件事故に遭い負傷し死亡したことと相当因果関係にある損害と被告の前記危険発生防止義務違反との間にも相当因果関係があるというべきである。

五、被告は、前記の如く子供達が時々遊びに来るという状況下の本件空地に危険な本件万力台を放置しておくときは、子供達がこれに接触したりいたずらしたりして本件万力台が例れそのために子供達が負傷したり場合によつては死亡したりするかもしれないという事情を知つていたことを認むべき証拠はないが、被告としては当然右事情を知りうべきものであつてこれを知らなかつた点に過失があるものというべきである。

よつて被告の過失に基く、前記危険発生防止義務という作為義務に違反した不法行為によつて、誠が被つた前記負傷及び死亡と相当因果関係にある損害につき、被告は不法行為による損害賠償の責任を負うべきものである。

六、そこで進んで誠が受けた前記負傷及び死亡に因る損害について判断する。

(一)  誠に生じた損害

(1)  精神的損害。原告等は、誠の被つた精神的苦痛による損害額を金三〇〇、〇〇〇円と主張しこれが慰藉料請求権を原告等が各二分の一の割合で相続したと主張するが、慰藉料請求権は一身専属的性質を有し相続性をもたないものと解すべきであるから、右請求は失当である。

(2)  得べかりし利益の喪失による損害。前記当事者間に争いない事実及び原告たづ子本人の供述によれば、誠は本件事故死当時四年一〇月の健康な男の子供であつたことが認められ、厚生省統計調査部公表の第一〇回生命表により同人の平均余命が少くとも六二・四五年であること、日本人男子の平均就労年齢が遅くとも二〇歳であることは当裁判所に顕著な事実であり、経験則に照らし本件事故がなければ誠は二〇歳から六〇歳までの四〇年間は少くとも通常の一般労働者として労働可能であると推定される。弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる甲第三号証の二の全産業男子労働者の年齢に応じた各月額平均現金給与額を基礎として、特段の事情について主張立証のない本件では平均給与程度の収入を得ている者の生活費はその収入の六割程度であるというべきであるので、右各月額平均現金給与額よりその六割に当る生活費を控除した残額たる各月額平均純収入額よりそれぞれホフマン式計算法により民法所定の年五分の中間利息を控除して本件事故死当日たる昭和三八年三月二八日の現在価をそれぞれ算出しこれらを合計するとその額は少くとも金一、九九七、三一二円(円未満は四捨五入)となるので、誠は本件事故死当時これと同額の得べかりし利益の喪失による損害を被つたものというべきである、しかし原告等は本訴において金一、七〇三、一六五円の限度で右損害を主張しているとみられるので、右金一、七〇三、一六五円の限度において右損害を認めるものとする。

(二)  原告高造及びたづ子に生じた損害

(1)  入院加療費。原告高造は本件事故により誠の父親たる原告高造が誠のために入院加療費金一六、〇七〇円を支出したと主張するが、これを認めるべき証拠はない。

(2)  葬儀費。原告高造本人の供述により真正に成立したと認められる甲第二号証の一、二、原告高造本人の供述によれば、原告高造は昭和三八年三月三〇日誠の葬式費用として合計金一一、六〇〇円を支出したことが認められるので原告高造は誠の本件事故死によりこれと相当因果関係に立つ右と同額の損害を被つたものというべきである。

(3)  休業による損失。原告高造本人の供述によれば、原告高造は塗装業を営んで居り一日約金一、六〇〇円の収入を得ていたが、本件事故のために昭和三八年三月二八日より仕事を休み三月二九日の葬式が済んだ後も四月六日まで引き続き休業したためその間収入を得られなかつたことが認められる。原告高造がその子の死亡の翌日(三月二八日)及び葬儀当日(三月二九日)休業の止むなきことは当然であるが、葬儀後の休業については幼児の葬儀であること、原告高造の社会的地位に照らすときはその翌日の一日(三月三〇日)をもつて相当とする。即ち、右休業期間中三月二八日より同月三〇日の三日間において収入を得られなかつたことによる損害が本件事故ないし本件事故死と相当因果関係にあるもので、それ以後の分は相当因果関係にないものというべきである。よつて本件事故により原告高造は昭和三八年三月二八日より三月三〇日迄の三日間、一日金一、六〇〇円の割合で計算した休業による得べかりし利益たる金四、八〇〇円と同額の損害を被つたというべきである。

(4)  精神的損害。誠が原告等夫婦の次男であることは前記のとおりであり、本件事故死によつて誠を失い原告等が多大の精神的苦痛を味わつたことは容易に推認できるところ、他方証人加藤とみの証言、被告本人の供述によれば、被告は米の販売等を営む外、畑約三畝を有して農業を営み、息子名義のものも合せて宅地約四〇〇坪、更に自宅の外借家一〇軒を有しており、月収は金五、六万円を下らないものであるが、被告は誠の入院中に見舞金として金五、〇〇〇円を贈つたことが認められ、これらの事実に前記認定の本件事故発生のいきさつ等諸般の事情を合せ考えると、原告等が本件事故死によつて受けた精神的苦痛による損害、従つてまたこれを慰藉するための金員としては原告等の各自についてそれぞれ金二〇〇、〇〇〇円が相当と認められる。

七、以上認定した誠及び原告等に生じた各損害はいずれも本件事故ないし本件事故死と相当因果関係にある損害であるから、同人等はそれぞれ被告に対し右各損害の賠償請求権を取得したというべきである。

八、被告は、原告等は本件事故当時誠に対する監護義務を果さなかつたから本件事故の発生については原告等にも過失があると抗弁するので判断する。

前記の様に、本件事故当時誠は四年一〇月の子供であつたものであるから、同人が右の年齢で本件万力台が特定方向から力を加えれば容易に倒れ得る危険なものであることを自ら判断し且つそれに従つて行動することを期待することは到底無理であり、まして自己の行為の責任を弁識するに足る知能などは有しないものであるから、親権者たる原告等は法定監督義務者として誠を事故発生のおそれのない場所で遊ばせるべきであり、それができないときは誠に同行してその行動を監視するなり事故発生の危険性について十分注意を与えるなりして事故発生を防止すべき監督義務を負うものというべきである。ところで、≪証拠省略≫によれば、原告等は誠が本件空地で遊ぶこと、本件空地には万力台の存することを知つていたが、原告高造は昼間は塗装作業のため出かけて行くことが多いため、誠が遊ぶ時に同行してその行動を監視することはできず、これは専ら妻の原告たづ子に任されていたところ、原告たづ子は平生から誠を放置して遊ばせておくことが多く同人に同行してその行動を監視することを怠つており本件事故当日もそうであつたことが認められる。従つて原告等は親権に基く監督義務としての事故発生を防止すべき作為義務を十分果さなかつたものというべきであり且つかくては誠が本件万力台に触れたりいたずらしたりして負傷したり死亡したりするかもしれないという事情を原告等は知り又は少くとも知ることを得べかりしものであつてこれを知らなかつた点に過失があるものというべきである。そして原告等の右過失が本件事故発生の一原因となつたことは明らかである。よつて本件事故発生については誠及び原告等を一体として考えこれらの者の側にも過失があつたものというべきであり、本件事故発生についての被告の責任を判断するにあたつては、右過失を相殺すべきものである。

九、被告は更に誠が死亡するに至つたのは原告等が誠に適時適切なる医療を受けさせなかつた過失に基くものであると抗弁するので判断する。

前記の様に本件事故当時誠は四年一〇月の子供であつたものであるから、同人が右の年齢で本件事故によつて自己の受けた負傷を認識し且つこれに従つて適時適切な医療を受けるべく行動することを期待することは到底無理であるから、親権者たる原告等は法定監督義務者として誠が負傷した場合には適時適切なる医療を受けさせもつて本件事故によつて生じた損害の拡大を防止すべき作為義務を負うものというべきである。ところで≪証拠省略≫によれば、原告たづ子は誠が本件事故に遭つたことをその直後に知り同人より腹痛を訴えられるや直ちに同人を原告等が平生より信仰しているお光さんの先生の家へ連れて行き、同人より手の平から出る光をお守りに当ててそのお守りを体に受けるという独特の方法の施療を受けたうえ、同人より、内出血しているが元気だし心配はないから安静に寝かせておく様にとの指示を受けて一時間ばかりして誠を自宅へ連れ戻つたところ、そのうち原告高造も仕事先から戻つて来たが、当時誠の顔色は悪く手足も冷たかつたので、見舞に来た加藤とみ等近隣の人達より医師の診療を受ける様勧められたが、原告等は「お光さんにお祈りをして貰つているからその必要はない」とか「もう一寸様子を見てみる」等と言い、お光さんの先生の家へ電話して誠の容態を連絡しては誠の寝ている前でお祈りの様な仕草をしていたが、そのうち誠の顔色もよくなり手足も暖か味を見せてきたうえ腹痛もさしてひどいものではないからこれは大丈夫だと考えて医師の診療を受けずにいたところ、午後八時半頃より誠は水を欲しがり飲ましてもこれを吐く様になつたので午後一一時頃になつて林脩一医師の許へ連れて行つた。誠を診察した林脩一医師は誠が非常に重態なることを見てとり、直ちに同人を入院させ午后一二時頃より手術にかかり開腹したところ十二指腸の末端部に縦に約三センチメートルの断裂損傷があり、そこより食物、血液、胆汁、胃液、腸液等が湧出し腹腔内に充満し汎発性腹膜炎を起していたので右湧出物を除去し右断腸個所を縫合して翌三月二八日午前二時半頃成功裡に手術を終え引き続き各種の処置を施したところ一時一般状態は良くなつたが、午前一〇時頃より心臓の力が弱つて再び悪化したのであらゆる処置を施したが同日午後二時二〇分頃死亡したものであることが認められる。そして≪証拠省略≫によれば、本件の如く胃或いは腸に損傷が出来て腹膜炎を起した場合受傷時即座に手術をして損傷個所を縫合する等の処置を施せば大体死亡は免れるというのが医学上の常識であるところ、原告等は誠の本件事故による受傷後手術を受けるまでに約一〇時間という時間を空費してしまつたため、この間に腹膜炎は悪化し体力精神力も著しく消耗して手術後の回復に耐えられなかつたものというべく、結局右約一〇時間の空費の故に誠は死亡するに至つたことが認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。よつて原告等は、負傷した誠に対し速に適切なる医療を受けさせて本件事故によつて生じた損害の拡大を防止すべき作為義務を怠つたものというべきであり、原告等の右過失が誠の死亡の原因となつたことは明らかである。よつて本件事故に基く損害の拡大について、誠及び原告等を一体として考えこれらの者の側に過失があつたものというべきであり、本件事故に因る被告の責任を判断するにあたつては右過失を相殺すべきものである。

一〇、そこで前記八で認定した原告等の側の過失及び前記九で認定したそれの程度を参酌するときは、誠及び原告等の有する前記認定の各損害賠償請求権のそれぞれにつき前記八、九の過失を合わせて七割の割合による相殺をなすのを相当と認める。

よつて誠の被告に対して有する得べかりし利益の喪失に基く損害賠償請求権の額は金五一〇、九五〇円(円未満は四捨五入)原告高造の葬式費用の出費に基く損害賠償請求権の額は金三、四八〇円、原告高造の休業による得べかりし利益の喪失に基く損害賠償請求権の額は金一、四四〇円、原告高造及び同たづ子の慰藉料請求権の額は各金六〇、〇〇〇円となることは計算上明らかである。

そして原告等は誠の死亡によりその直系尊属として、誠の取得した右損害賠償請求権を各二分の一ずつ相続したから、これと原告等各個有の損害賠償請求権とを合算すると結局原告高造は被告に対し金三二〇、三九五円の、原告たづ子は被告に対し金三一五、四七五円の各損害賠償請求権を有することとなる。

一一、よつて原告等の本訴請求は、原告高造について金三二〇、三九五円、原告たづ子について金三一五、四七五円、及びそれぞれこれに対する右損害発生の翌日の後にして訴状送達の翌日たること記録上明らかな昭和三八年五月一三日から完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める範囲において正当であるからこれを認容し、その余の部分は失当としてこれを棄却すべきである。

よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 伊藤淳吉 裁判官 小津茂郎 古川正孝)

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